2007年9月 8日 (土)

フィルタリングの基準

キッズgoo』という検索サイトがある。
ここでこの『紅緋記』を検索すると、フィルタリングされて
「ごめんね。ページがひょうじできませんでした。」
という表示される。
つまり『紅緋記』が児童にとって有害であると認定されたのだ。
喜ぶべきことである。
これを記念して『キッズgooはじかれサイト同盟』に加入する。

キッズgooはじかれサイト同盟

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年8月11日 (土)

東京の水瓶

奥多摩湖に行った。
小河内ダムは1957(昭和32)年11月竣工で、ことしで50周年を迎える。その記念行事として、ダム施設の見学会が開催された。

朝6時、眠い中出発。住んでいるのが西葛西、つまり東京の東端、目的地は奥多摩湖で、東京の西端。東京横断(みんな奥多摩に行きたいか~!)だ。
8:28 JR奥多摩駅到着。ここからバスで約15分。
到着すると、もう100人程の整理券をもらう列ができている。もっと早いバスもあったのだが、如何せん東京横断では、電車の乗り継ぎの関係で前日に出発しなければならない。
9時半から30分沖にツアーは出発するが、この日は11時・11時半・12時は特別見学会なので13時の回になる。
それまで、周辺をまわることにする。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 2日 (木)

土用の散歩

武部本一郎展をmini、弥生美術館に行く。
場所は弥生町。弥生式土器の名称の基となったところだ。

弥生式土器石碑
地下鉄の根津駅から言問通りをあがってゆくと、左側に碑が立っている。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月26日 (火)

トラックバックの承認

本Blogのトラックバックを承認制にした。
このところ、スパムTBが頻発していることへの対抗手段である。
承認するものは、次に掲げる場合に限る。それ以外については、問答無用で削除する。
1.記事に関連している、と判断した場合。
2.関連していなくても、面白い、有用である、と判断した場合。
3.実際の友人・知人からのもの。尤も、友人・知人ならば、記事に関連しないTBはつけないだろうが。
なお、上記の『判断』は、本Blogの管理者である私の独断と偏見によるもので、その根拠については一切抗議を受けつけない。

なお、本基準はコメントに対しても適用する場合がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月21日 (木)

格差社会の是正

日本は格差社会なのだと識者はいう。
確かに、いろいろな場面で格差があることは否定しない。しかし、それらがすべて識者の言うところの政治のせいなのかというと、はなはだ疑問である。
クイズ形式のバラエティ番組などで、若いタレントが無知ぶりを披露して共演者の失笑と視聴者の笑いをとっている。
見ていて「なぜ、この程度のことがわからないのか」と思うこともしばしばだ。
ところが、近頃その見方が少し変わってきた。
たしかに、彼・彼女たちの常識のなさは噴飯物ではあるが、その責任が彼・彼女だけにあるのだろうか、と思うようになったのだ。
『ゆとり教育』が学習指導要領に反映された。特に1989(平成元)年や1999(平成11)年の改訂によるカリキュラムで育った年代が、バラエティで笑いをとる人たちである。
彼・彼女たちを「学校でなに習ってたんだ」と責めるのではなく、教師たちに「何を教えていたんだ」と言いたい。もちろん、意欲のない人に教えるのは大変だろう。しかし、その意欲をどうして引き出してやれなかったのか、ということだ。
教育についてのテレビ番組で、ラサール石井が「昨日わからなかったことが今日わかる。こんな嬉しいこと、興奮することはない。だから勉強は楽しいんだ」と言っていた。この意見にわたしは全面的に賛成する。教師――特に小学校の教師は、この気持ちを引き出すことこそが使命と思う。
かつて福沢諭吉が『学問のすすめ』で「人が平等であることは理想ではあるが、現実には富めるものと貧しいもの、地位の高い者ち低い者がいる」と言っている。そして「これは学問のありなしが、その差である」と述べている。
現在の格差社会について、小器用に立ち回って――法律の裏をついたり、利権に群がったり――富を得るかどうか、なんていうのは瑣末な――とはいえ放置はできない――ことで、その根本は学問――教育行政の失陥こそが問題なのだと思う。
『学問のすすめ』では、さらに「まわりが見えず、自分の置かれた環境を見ないで、ただ『自分が一番』と妄信しているだけでは刻が危うくなる。支那という例を見よ」と、学問のありなしが国の存続をも左右すると警告している。
幸いなことに、明治期の日本は欧米諸国から独立を保ちえた。さらには、欧米社会以外で唯一、憲法を制定し議会を開催して民主主義を機能させた。
もちろん、一朝一夕にできたわけではない。1868(慶応4年)3月、五箇条のご誓文で『広く会議を興し、万機公論に決すべし』との宣言があっても、実際には1989年の大日本帝国憲法公布をまたなければならなかった。よくぞたった20年という短い歳月で議会の開設までこぎつけたと思う。これも学問を基礎として富国強兵を進めた結果である。ただ、あまりに急激な発展のために各所でひずみが出たこともあった。
現在のわれわれが、こういった先人の努力を無にしてはならない。
格差社会の是正。この問題は、小手先でどうにかなるものではない。
きちんとした教育体系を構築する――知識が増える、わからなかったことがわかるようになることが面白いと思えるようにする――ことこそが、もっとも効果的なことだと思う。
迂遠なようにも見えるが、国家百年の計を鑑みたらやらなければならないことだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 2日 (火)

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます

新年の2日に見る夢が初夢です。
「永き世の遠の眠の皆目覚め波乗り船の音の良きかな」という回文の歌が書かれた、七福神の乗った宝船の絵を枕の下の置くと、いい夢が見られるともいいます。
また、見た夢で縁起の良いものとして昔から「一富士、二鷹、三茄子」と言われています。ちなみに、この後には「四扇、五煙草、六座頭」と続きます。

この一年が、皆様にとって良い年でありますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月13日 (月)

言葉の分解

【その1】
コアラという生物がいる。
三原じゅん子と結婚した元アニマル梯団のメンバーではない。
オーストラリアに棲息する――オーストラリア以外には棲息しないが――有袋類だ。
その意味はアボリジニの言葉で『水を飲まない』ということである。ユーカリがたくさんの水を含んでいるので、それだけで大丈夫ということらしい。ただし、まったく飲まないのではなく、少量の水を摂取することはあるということだ。
で、この『水を飲まない』だが、コ・ア・ラのどれが『水』『飲む』『ない(否定)』かということが疑問になる。
私見だが、『コ・ア・ラ』と分解をするのではなく、『コ+アラ』あるいは『コア+ラ』とするのではないだろうか。つまり『水を飲む』でひとつの単語で、それに否定を意味するものがついた形だ。
たとえば『drink』という英単語がある。訳せば『飲む』であるが、特に『酒を飲む』という使われ方もする。日本語でも『呑む』という言葉がある。
かつて、アメリカの基本単語対応辞典――Basic words何とかというタイトルだったと記憶している。日本語もはいっていた――を見たとき、その中で『アイロンがけをする』という言葉があった。何でこんなのが『基本』なのか、と言ってその場にいた人たちで笑いあったことがある。もちろん、元になっているのは英語の『iron』である。
ちなみに、『コアラ』-『水を飲まない』についての対応をご存知の方がいらっしゃったらお教え願いたい。

【その2】
次の文章を品詞分解せよ。
私は学校へ行く
おそらく、ほとんどの人は
(名詞)+は(助詞)+学校(名詞)+へ(助詞)+行く(動詞)
とするだろう。
学校で習った『文法』だ。
この文法は『日栄文法』という。で『日栄』と固有名詞がついているくらいだから、当然別の『文法』もある。
たとえば次のようにも解釈できる。
私は(名詞)+学校へ(名詞)+行く(動詞)
ここで『は』とか『へ』とかは、名詞の活用ということになる。ドイツ語やロシア語の『格変化』のようなものと思えばいい
じつは、この解釈による品詞分解は、日本語入力システムでの構文分析に影響を与えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 2日 (木)

聖書の記述

約2000年ほど前、一人の男が生まれて死んだ。その後の世界に多大な影響をあたえた出来事である。
その生涯については、いろいろとあるが、深く追求することは紛争の元であるし、下手をしたら命の危険があるので、ここではしない。

1959年のアメリカ映画に『ベン・ハー』(*1)がある。ウィリアム・ワイラー監督、チャールトン・ヘストン主演の大スペクタクル作品だ。
濡れ衣で奴隷に落とされたベン・ハーが故郷のエルサレムに戻ってくると、母と妹は牢の中。陽もささぬ不衛生な牢で、当時の死病に罹患していた。
この当時の死病こそ、らい菌による末梢神経細胞への寄生、つまりハンセン病である。かつては、癩病とも言われていた。
誤解のないように言っておく。
らい菌は感染力が弱く、またほとんどの場合、自然治癒力によって発病には至らない。また、薬による根治が可能になっている。
この母と妹が、ゴルゴダの丘に降る雨が流れてくるのに触れたことによって治る、という奇跡が描かれている。

聖書の中にもいくつかの記述がある。
ところで、その記述だが、なんと『恐ろしい皮膚病』とか『伝染性の皮膚病』と書かれているという。
前述したように、ハンセン病は、らい菌の抹消神経細胞への寄生である。皮膚疾患のような症状が現れることはあるが、皮膚病ではない。
罹患された方への配慮であろうと推察はできる。
当時の呼称にない『ハンセン病』とは書けない。しかし、明らかに誤った記述をするのはもっと拙いだろう。
配慮は必要かもしれないが、聖書などの場合、堂々と『らい』と記述すべきだと、私は思う。

誤った記述は誤った誤解を生む。誤った記述は、聖書も患者さんたち、かえって冒涜しているように思える。
まことに、あなたたちに言う。ハンセン病は薬で根治できる。

*1:原作者はルー・ウォーレス、1880年発表。映画化は4回(1907(サイレント)、1925(サイレント、後トーキー)、1959、2003(アニメ))。ちなみに、1959年作品はアカデミー11部門(『タイタニック(1997)』、『ロード・オブ・ザ・リング/ 王の帰還(2003)』とともに最高記録)を取得し、傾いたMGMを一気に立て直した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月28日 (土)

金融機関の背番号

日本では、金融機関にナンバーがふられている。
この番号は正式名称を『統一金融機関コード』という。ただし、略して『金融機関コード』とも呼ばれている。
例をあげるなら、みずほ銀行が『0001』、東京三菱UFJ銀行が『0005』といった具合だ。
ちなみに『0000』は日本銀行。
各金融機関はこのコードに3桁の支店コードを付加して、店舗を特定する。
銀行等の窓口にある振込用紙などにある、4桁+3桁のコード記入欄を見たことはあるだろう。

ちょっと、昔の振込(送金)の手順を追ってみよう。
まず、振込依頼書(伝票)に必要事項――あなたの名前、電話番号、振込相手の金融機関名、支店名、口座番号、名前、そして金額。あっ、扱いの電信か文書を選択するのを忘れないように――を記入する。
記入した伝票と記入した金額、そして手数料を窓口に出す。すると、日付スタンプを打った控えをくれるだろう。あなたの作業はここで終わりである。あとは銀行の作業だ。
窓口業務が終了すると、伝票は集められて、振込先の銀行ごとに分類され、帳簿に記入される。
その中で電信扱いのものについては、依頼者の名前・相手の名前・口座番号・金額が、振込先の銀行にテレタイプ(とは限らないが)される。
文書扱いのものは、帳簿の写しを郵送する。
ちょっと前まで残っていた、電信扱/文書扱というのはこの違いなのである。

しかし、いまや、これら金融機関はネットワークで結ばれている。
あなたは、ATMの表示を確認しながら振込作業を行なうことができる。もちろんすべて電信扱だ。
窓口に依頼する場合でも、その操作を銀行員がやるだけで、同じである。
それらの電文には、あなたが名称で表示されたパネルで選んだ金融機関コード・支店コードが、その他の情報とともに含まれている。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月26日 (木)

事実上の標準

デファクト・スタンダード(de facto standard)ともいう。『de facto』はラテン語で「つくられたものによる」という意味。ちなみに反対語は『de jure(デジュール)』で「法律による」となる。
ISO等の公的標準機関の決定には時間がかかるため、とにかく商品を発表してしまおうということになる。その商品が市場の大きな部分を占めるようになると、使われている規格が『標準』となって定着してしまう。
典型的なデファクト・スタンダードとしては、タイプライターの『QWERTY配列』や、通信プロトコルの『TCP/IP』、LANの『Earthernet』等がある。
また、競争の末に勝ち残った規格としては、ビデオの『VHS』(βマックス)、ビデオディスクの『レーザーディスク』(VHD)などがある。
こうなると、公的標準機関も市場に追随するしかなくなる。

今一番注目されているものは、次世代映像記録方式の『ブルーレイ・ディスク(Blue-ray DISC:BR)』と『HD DVD(HD)』だろう。
2005年春、ソニー(BD)と東芝(HD)との間で話し合いが始まったが、2006年6月21日に東芝が規格統一の断念を発表した。
VHS対β・ビデオ戦争の再燃である。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«情報の圧縮